第3回は、電撃移籍から1年、確かな戦績を上げてシーズンを終えたモトGPライダー、中野真矢選手の登場です。
5歳でポケットバイクに乗り始めてから、文字通りレース一筋のサーキット育ち。ハードな日々の中での、チームやファンとのコミュニケーションや、二輪レース人気復活への想い、そして息詰まるレースのさなかの緻密な計算についてお聞きしました。
── 大活躍の1年間でしたね。カワサキ移籍1年目は、中野さんにとってどんな年だったでしょうか。
やはり移籍が大きかったですね。今まで日本人ファクトリーライダーが、メーカーを移って世界GPで戦うというのはあまり例がないことなんです。僕も今までは同じメーカーにずっといましたが、今回はカワサキにすごく大きなチャンスをもらった。その分プレッシャーもある中で、でもチャレンジしてみようと思ったシーズンでした。
現実的な目標は、10位以内でなんとか走れるように、そして後半戦には表彰台にと思って走ったんですが、結果的にはもてぎツインリンクスで表彰台(3位)に上れたし、最終ランキングも10位に入ることができた。そういう意味で、自分自身にとっても満足のいくシーズンだったと思います。
── メーカー移籍は大きな環境の変化だと思うのですが、実際のレースの場面ではどういう変化を感じましたか。
僕は16歳の頃にロードレースを始めてから約10年間ヤマハで走ってきたので、メーカーを変えるのにはすごく勇気が要りました。実際に環境が変わってみると、良かった点がたくさんあります。今回カワサキに行こうと思ったのは、やっぱりカワサキ直属のファクトリーチームだからです。今まではサテライトチームにいたので、もちろんメーカーの人は協力してくれますが、1チームがメーカーのサポートを受けて走っていた形です。でも今はメーカー直属で、自分の意見がすごく反映される。オートバイを作っていくうえでも、僕のやりたいことを真剣に聞いてくれるので、そういう部分にすごく魅力を感じるし、やりがいがあります。
── 作る側と走る側のダイレクトなコミュニケーションが実現できたということですね。それは醍醐味ですね。
ええ。でもやっぱり、新しい環境での戸惑いはありましたね。カワサキは去年フル参戦に復帰したばかりで、それまでGPを戦ってなかったじゃないですか。そのために普通のGPの常識や、「GP流」みたいな感覚が伝わらないことも多くて、結構苦労しました。
僕も一ライダーですから、全てに口出しするべきじゃないとは思います。ただ、僕の仕事は走ることなんで、マシンに関しては、「この方がいい」「GPではこれが普通だからこっちがいいんじゃないか」とか言いながら、ドンドン変えていこうと思ったんです。
── チームの中では、基本的に英語でコミュニケーションするんですか。
そうですね、もともとドイツのチームなんですけど、ドイツ人だけでなく、僕のチーフエンジニアはイタリア人ですし、フランス人もいます。いろんな国の方がいるんですけど、基本的には英語で話してますね。もちろん日本語のようにすべてを伝えるのは難しいですが、僕ももうグランプリ6年目なので、日常的なところはなんとか通じるようになりました。
レースで使う言葉っていうのは、例えばエンジニアと話していて、お互いの言う「ちょっと」というのがどの位の「ちょっと」なのかが分かり合えれば、あとは大丈夫ですね。「ちょっと硬いよ」「ちょっと柔らかいよ」とか、「曲がらない」「曲がる」といった会話です。
特に今年僕と一緒にやってくれたスタッフは、チーフエンジニアを始め、去年も一緒に苦労してくれた人たちです。僕と一緒にカワサキで挑戦しようと言って来てくれたので、その点ではすごく助けられましたね。
── レースマシンの開発で苦労される点、おもしろい点はどこでしょう。
やっぱり自分でバイクを作っていける部分です。形もバランスも自分で好きなように作って、自分専用のバイクが出来ていく。それがうまく操れて、タイムが出て結果が出たときの嬉しさは強烈です。逆にそこで道を間違うと、みんなでズッコケちゃうという責任もあります。
Ninja ZX-RRを駆る。
オーストラリア、フィリップアイランド・サーキットにて
── 今の日本では若者がちょっとバイクから遠ざかっているようです。こうした事情を、どんな風にご覧になってますか。
僕はずっとレース一筋で来ましたが、例えば十数年前のサーキットは、いろんなスポンサーがついて、すごく盛り上がっていましたね。平忠彦選手をイメージした男性化粧品や映画などもあって、すごいなぁって思ってたんです。
でもその後は下火になってきて、街でもレーサーレプリカのようなバイクを見かけなくなりました。たまに上野のバイク街に行っても、昔はゼッケン付きのバイクも多かったんです。今はネイキッドや大型スクーターばかりですが、それは時代の流れだと思います。
別にレーサーレプリカではなくて、今なら大型スクーターが流行っても、全然良いと思うんです。でも例えばレースでカーボンのマフラーを付けると、街でもそれが流行ったりする。レースはそういう影響力を持っているんです。
── ヨーロッパではモトGPの認知度やステータスもずいぶん違うそうですね。
僕は2年前からスペインに住んでいますが、バルセロナの空港からレンタカーを借りて、最初に目に入るのはライダーの看板や広告なんです。レースでもスペインは10万人以上のお客さんが来るし、ライダーは「英雄」と言われている。すごくうらやましいと思います。
ヨーロッパではまだまだみんな革ツナギを着て、スーパースポーツっていう1000ccや600ccのバイクに乗ってレースを見に来ますよ。
── 日本で二輪のモータースポーツを盛り上げるためには、どうしたらいいでしょうか。
うーん、僕もよく考えます。やっぱり大勢のお客さんの前で走った方が楽しいですからね。ただ僕の仕事はレースで結果を出すことだし、活躍すれば見てくれる人も増えるだろうから、まず勝たなきゃいけない。
それから、これは僕一個人の考えですけども、例えばサーキットのグランドスタンドを、一回でいいから、無料とか格安にして、全部埋めてみるというのはどうでしょうか。それをTVで見た人は盛り上がってるなと思うだろうし、それを見たスポンサーも「盛り上がってるじゃないか」っていう良い循環になると思うんです。それが、最初から目先のことで席の値段が高かったりすると、お客さんも全然入らず、盛り上がっていなければスポンサーも離れていくんじゃないかな。一ライダーがそこまで言うのもなんですけど、せめてグランドスタンドだけでも埋まっていたら、かっこいいだろうなって思います。
スポーツはやっぱり生で観戦するとまた違うじゃないですか。特にレースは音もあるし迫力もある。一度観に来た方はたいてい「あぁいいねぇ」って言ってくれます。初めて観に来て「いやぁガッカリだった」って方は、そんなにいないと思うんですよ。だからこそ、これから5年10年先を考えて、一回そういう試みもしてもらいたいですね。
── 今年の日本グランプリは期待以上の入場者数で、たいへんに盛り上がりましたね。
そうですか。だとしたら、何でお客さんがそんなに入ったのかを分析して、次に生かしてもらいたいですね。「わぁ、入っちゃった!」だけじゃ、先が続かないですよね。
海外のモトGPの観客動員数は今どんどん伸びてます。特に今年はバレンティーノ・ロッシもヤマハに移籍したし、ニュースが多くて、注目度が上がってきてるんでしょう。F1よりも人が集まったという国もあります。そういう流れで、日本でも見てくれた人が多かったのでしょう。
── もてぎでは19日の決勝の日に、グランドスタンドの応援席にファンサービスに行かれましたね。
あれだけのお客さんが、みんなカワサキを応援しに来てくれていたんですから。決勝の前にはミーティングがあるかもしれないし、何があるか分からないけれど、もし時間があれば手だけでも振りに行きたいと思ってたんです。すごく自分も嬉しいし、応援してくれる方がいなかったら、僕は走れないですから。
── 16戦を転戦する間って、ずっとテンションが上がっているものですか?
いやいや、全然そんなことはないですよ。いかにそのレースのある金・土・日の3日間に集中できるかにかかっています。ライダーにもよりますが、僕は金曜日までに自分を上げていって、トレーニングして「準備OKだぞ」って気持ちでサーキットに入るようにしています。でも終わってからはなるべくリラックスして、次に自分が「トレーニングしたい」「バイクに乗りたい」という気持ちになるのを待つ。そうじゃないと16戦は続かないんですよ。
── 疲れは溜まりませんか、特に夏とか。
メンタルな面がすごく重要で、調子の良い年は疲れないんです。体制作りがうまくいっていたり、自分がチームに必要とされていると感じたり、エンジニアが自分の言うことをきちっと分かってくれていたり、というような小さいことの積み重ねで、全体のモチベーションが上がってるときには、疲れも気にならない。
── レースに臨む直前は、「やるぞ!」なんて掛け声を掛けたりするんですか。
しませんねえ(笑)。チームにあれだけ人がいるのだから、やったほうがいいですよね。でも逆に自然体でも、もちろん集中はしているので、「いつもの練習のように行こうよ」でいいのかもしれません。
── 気持ちを上げていくうえで、何が起こるのが一番嫌ですか。
やっぱり転倒することかな。うっかり転倒をしてしまうと、もちろん自信も無くなるし、次に走るときに恐怖心も出るだろうし、オートバイも壊れちゃうし、あんまりいいことがないんですよ。とくに自分のミスで転倒したときは、なかなか気持ちを切り替えるのが大変ですね。
── これからレースを観ようという入門者や、いまひとつ見方がわからないというファンへのアドバイスをいただけますか。
たとえばサッカーでも、世界を相手に戦っている日本人選手を応援して、サポートする方々が大勢いますよね。同じように、世界中のライダーを相手に、日本人ライダーが海外で奮戦しているのを見てもらいたいし、そこで活躍している日本のメーカーのバイクにも注目してもらいたい。タイヤを見れば日本のブリヂストンがついてるとか、そういう見方もおもしろいですよね。そんな中で好きなライダーや応援するメーカーができれば、レースをもっと楽しめると思います。
── たとえばTVで観戦するとき、ライダーの調子の良し悪しはどこを見れば分かりますか。
現在のモトGPでは、タイヤ選びがすごく重要になっています。世界最高峰のGPマシンですから、やはりマシンの挙動とか、コーナーの入口でぶれていないか、リヤタイヤが滑らずにちゃんとパワーを伝えているか。そういうマシンの動きを見ていると、調子の良し悪しはだいたい分かります。TVならトップスピードが画面に表示されるので、それでマシンの調子も分かりますよね。あとはライダーの動きです。アグレッシブに乗れてるように見えれば、それは本当に乗れているんですよ。車と違ってバイクは人間の動きがよく分かるので、そこは何度かレースを観てもらえれば、なんとなく分かってくると思います。
── マシンの挙動や他のライダーの気分は、レース中でも分かるものですか。
分かりますね。逆に相手にも見られています。もてぎでメランドリを抜いた時も、僕のマシンがストレートで伸びてたのは知ってたんですが、同じぐらいのレベルなのでなかなか抜けなかった。彼が何かミスをしたら抜けるだろうと思っていたら、リアタイヤを滑らせたので、スリップストリームを使って抜きました。
ところがその後のブレーキングで、彼は相当ハードなブレーキングをしていて、僕よりも奥に突っ込んでいたので、もし抜いてもクロスラインで抜き返されると前もって予想してたんです。だから、もし抜き返されても、彼はたぶん行き過ぎるだろうから、その後またクロスで抜こうと考えていました。
そうしたら予想通り、僕が抜いたあとに抜き返してきて、やっぱり止まれなくてちょっと離れたので、僕はそのインを抜けたんです。走っているときは、こんなふうにレースの展開を何パターンか考えておくんですよ。
── 最後に、中野さんにとって、バイクが自分にとってかけがえのないものだと感じるのはどういうときですか。
自分で操ることの喜びっていうのはありますね。うまくいったらタイムが上がるとか。バイクはいちばん自分の思いどおりになる道具ですから。それがうまくいったときはうれしい。レースであれば何十人というチームの仲間や、カワサキ本社のレーシング部や、大勢の人が働いてくれている中、大きなプレッシャーの中で良い成績を取ったときの喜びっていうのは、一回味わうとなかなかやめられないですよ。
(2004年11月13日(土) 於:東京青山)
カワサキ モトGPファクトリーライダー
生年月日 : 1977年10月10日
出身地 : 東京都
現住所 : 千葉県(本拠地はバルセロナ)
趣味 : スポーツ ドライブ
1977年 10月10日 |
東京都に生まれる |
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1983年 (5~6歳) |
5歳でポケットバイクを始める |
1987年 (9~10歳) |
全日本ポケットバイク選手権優勝 |
1989年 (11~12歳) |
ミニバイクにステップアップ |
1993年 (15~16歳) |
ミニバイクモトチャンプ杯SS50クラスチャンピオン |
1994年 (16~17歳) |
ロードレースにデビュー[SP忠男レーシングチーム] |
1997年 (19~20歳) |
プロに転向[ヤマハレーシングチーム] 全日本選手権250ccランキング5位 |
1998年 (20~21歳) |
[BPヤマハレーシングチーム] 全日本選手権250ccチャンピオン |
1999年 (21~22歳) |
[Chesterfield YAMAHA Tech3] 世界選手権250ccランキング4位(ルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得) |
2000年 (21~22歳) |
[Chesterfield YAMAHA Tech3] 世界選手権250ccランキング2位(優勝回数5回・年間最多勝利) |
2001年 (21~22歳) |
[Gauloises YAMAHA Tech3] 世界選手権500ccランキング5位(ルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得) |
2002年 (22~23歳) |
[Gauloises YAMAHA Tech3]MotoGP世界選手権ランキング11位 |
2003年 (23~24歳) |
[D'antin YAMAHA Team]MotoGP世界選手権ランキング10位 |
2003年 | MotoGPクラスランキング8位。 |
2004年 (24~25歳) |
[Kawasaki Racing Team]MotoGP世界選手権ランキング10位 |
1 現在の愛車は? | KLX250 |
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2 最初に乗ったバイクは? | ポケットバイク |
3 今後乗ってみたいバイクは? | スーパースポーツ(600cc、1000ccの車種)と、ゆったり大型のスクーター。やっぱり今流行っているので。 |
4 愛用の小物は? | 目玉マークのヘルメット(以前所属していたSP忠男レーシングチームのもの) |
5 バイクに乗って行きたいところは? | 沖縄 |
6 あなたにとってバイクとは? | 人生そのものです。 |
7 安全のための心得はありますか? | ふだんバイクに乗るときは、見通しの悪い所で飛ばさない。細心の注意をする。レーサーが事故を起こすのはいちばんカッコ悪いので。 |
8 バイクに関する困り事は? | 高速道路の二人乗り禁止など、バイクに不利な規制 |
9 憧れのライダーは? | マンガ『バリバリ伝説』の主人公・巨摩郡。ゼッケンの56番もそこから。 |
10 バイクの神様に会ったら何と言う? | 何を努力をしたらもっと速くなれるかを聞きたいですね。 |
タイラレーシング(株)代表/元GPライダー
オートバイは異空間。そして地球上で一番自由な乗り物です。
ホンダ・レーシング ライダー
モーターサイクルスポーツを、この国にしっかり根づかせたい。
カワサキ モトGPファクトリーライダー
たくさんの人に支えられて、プレッシャーの中で走る快感
MFJ全日本レディスモトクロス選手権
チャンピオン
出来ないことが、出来るようになる。その時がいちばん嬉しい
能楽囃子大倉流大鼓
重要無形文化財総合認定保持者
オートバイは失われた日本の精神文化を取り戻すツール
噺家
バイクで走れば噺の舞台が見えてくる
作家
バイクがなかったら僕が僕じゃなくなっているかもしれない
女流棋士
将棋の駒ならバイクは香車。バックギヤはありません
アライヘルメット社長
バイクに乗れば自分の頭のCPUスピードが分かりますよ
モータースポーツカメラマン
レンズの向こうに見えるライダーの想いを伝えたい
バイクインストラクター
安全はお金を払って身につけるもの
雅楽演奏家
思い描いたバイクに仕上げる楽しみこそ、東儀流
タレント
「憧れ」から「等身大」に視点を変えて出会った、運命のバイク
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バイクは五感を研ぎ澄ませるためのツール
俳優
自分をどこにでも連れて行く、バイクは「筋斗雲(きんとうん)」
株式会社ハドソン 宣伝部
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