昭和46年、仮面ライダー=本郷猛としてブラウン管のなかに颯爽と登場した藤岡弘、さん。仮面ライダー以降も国内外問わずテレビに映画に活躍されていますが、その一方でボランティア団体の理事を務め、世界各地の紛争地域や難民キャンプで救援活動を行うなど、バイタリティ溢れる行動を展開しています。
バイクとの出会いから始まった対談は、日本、そして世界へと徐々にスケールが大きくなっていきました。武道の達人でもある藤岡さんのサムライトークが、バイク業界、日本人の倫理観、そして教育に関する問題まで、バッサバッサと斬っていく様子をご覧ください。
── 藤岡さんはバイクとの出会いは?
私の田舎は愛媛県の非常に古い城下町です。学生の頃は家が貧乏だったので、アルバイトをしながら学業と武道に励んでいました。当時のバイトには、お客さんがデパートで買った品物を自宅まで届けるというものがあったんですよ。私はまだバイクを持っていなかったので自転車で配達していたんですが、田舎なので坂は多いし、配達先は遠いしでまったく割が合わない(笑)。ところが同じバイトでも、バイクを使っている人間は私の何十倍もの速さで運んでしまう。こうなるとバイト料もずいぶん違ってくるでしょ。そこでバイクの有用性と免許の必要性を強く感じたんですよ。もともとバイクには興味があったので、友達のバイクを借りて一生懸命練習して、すぐに免許を取りました。私とバイクの出会いはそこからですね。
── 最初に乗っていたのはどういうバイクだったんですか。
あまり詳しく覚えていなんですが、自転車のような、原付のようなという、いわゆるモペットタイプだったと思います。その頃のバイクは貴重品でね。一台のバイクをみんなで分解して、また組み立ててみたり、パーツをひとつずつ整備したりとか、それこそ宝物のように扱っていました。当時のバイクはまだ性能がよくなくて、モトクロスのようにオフロードを走って喜んでいたら、パーツがどこかへ吹っ飛んでいったりしてね(笑)。性能的にはまだ過渡期のバイクだったけど、どこへでも行けるフットワークの軽さと、スピードがもたらすスリルというのかな、危険もあるんだけどワクワクする刺激もあって、それがとても楽しかったことを覚えています。
『仮面ライダー』当時の藤岡さん。
一躍人気俳優となり、
以後『特捜最前線』『日本沈没』
『SFソードキル』といった作品に次々と出演し、
その人気を不動のものとする。
藤岡さんの現在の愛車、
スズキGSX1300Rハヤブサと一緒に。
── 上京して『仮面ライダー』の主役を射止めたのですね?
役者を目指して上京してからは、様々なバイトをしながらオーディションを受ける日々でした。そんななかで、これまで培ってきたバイク技術が生き、『仮面ライダー』の主役をいただいたわけです。それからは一気にバイクとの触れ合いが増えていきました。
『仮面ライダー』では本郷猛の役だけでなく、バイクのスタントも含めてやっていました。初めて用意されたバイクに乗ったときは感動しましたよ。田舎でトコトコ走っていたマシンとは、パワーや迫力がまったく違いましたからね。
そうして仕事を続けるうちに、私個人のバイクも欲しくなりホンダのCB750を購入しました。このマシンには相当惚れ込みましたね。おかげで仕事場への足としてだけでなく、プライベートでも頻繁に東京近郊を走り回るようになりました。ちょうどこの頃からバイクの性能も急激に進歩していって、見栄えもよくなるし、スピードも出るようになりましたよね。公私ともどもいろいろなマシンに乗っていくうちに、バイクによってそれぞれ異なる運転テクニックが必要だ、ということも理解していきました。
私は現在スズキのGSX1300Rハヤブサというバイクに乗っています。忙しくてあまり乗るヒマがないのが残念なんですが、これはもう性能が凄くて、ついていくのが大変というくらいのバイクです。このバイクで箱根とか富士山の横を走っていると、いくらでも出るんですよ、スピードが。もちろんスピード違反はしていませんよ(笑)。でもその性能に圧倒されてしまっていて、楽しみ半分、危機感半分という感じで乗っていますね。
── ハヤブサに乗るのはどんなときですか?
息抜きをしたいときですね。私たちの仕事は、スタジオに何日間も入って、あらゆる職種の人との人間関係に揉まれ、そこで真剣勝負をして結果を出さなければなりません。本当にいい仕事をキチンとやらなかったら、次の仕事は来ない。だからいつだって真剣勝負だし、嘘は言えません。そういう緊張した状況をずっと続けていくと、己自身を解放させたい、楽しませてやりたい、という気持ちになるんですよ。
そこで仕事が終わったら、そのままバイクにまたがって温泉目指してひとっ走りします。真夜中だって構いません。たっぷりと走りを満喫して宿に着いたら、早速温泉につかって疲れを癒し、出てきたらうまい飯を食べる。野暮な電話に起こされないようにしてたっぷりの睡眠を取り、翌日は早くに起きて、朝もやのなかバイクを駆って楽しむ。こうするとリラックスできて、まったく別の世界に自分が解放されて、今までの雑念邪念が全部吹っ飛んじゃうんですよ。風を体感し、自然を見て、おいしいもの食べて、今まで足りてなかった喜びが充電されるというか、回復するんですね。ハヤブサはそんな風に乗っています。
『藤岡弘、探検隊』の撮影や
ボランティアとしての救援活動など、
ワールドワイドに活躍されています。
── 世界を広く見てきて、バイク文化の差を感じることはありますか?
仕事で頻繁に海外へ行っていますが、そこで感じるのは世界中の人が日本のバイクを高く評価していることです。世界中どこへ行っても、日本のバイクは信頼されています。中近東に行くと、日本のバイクは貴重品扱いです。砂漠や辺地を走る場合は故障するのが一番怖いからでしょうね。だから「壊れない」日本のバイクがとても評価されている。
また海外の人たちはバイクの特性を知っているので、車とは別にバイクを持っている人が多いんですよ。純粋に走りを楽しんだり、自然のなかで開放感を得るために持っているという人が多いと感じています。みんな四輪とは使い分けているんですね。それと海外の人たちはバイクとリラックスした関係を築いている。女の子だって平気で乗っているし、ペアで乗って遊んだりもしている。
その点日本人はバイクとの付き合い方が下手ですよ。これはバイクだけでなく、人間との付き合い方や遊び方も同じことです。あまりにも頭で考えすぎるのと、日本の社会に規則やルールが多すぎるのが原因かもしれません。
たとえば、日本人は道を歩いていても、見知らぬ人に「こんにちは」なんて挨拶をしませんよね。物を買いに行っても、店員はニコッと笑って無機的に対応するだけです。でも外国だと「お前どこから来たんだ?」「何をしているんだ?」「その格好は何だ?」って平気で話しかけてくる。ちょっと変わったバイクに乗っていたら、あっという間に人だかりができて、みんなが「何だその車?」「調子はいいのか?」「乗らせてくれ」なんて、バイクを中心にワイワイガヤガヤと盛り上がってしまう(笑)。これが日本だと妬みと嫉妬でチラッと見て、「ちきしょう」なんて言って硬貨でキズつけたりするでしょう。それが日本人の情けない倫理観ですよ。
── それが端的にバイクとの付き合い方に出ていますか?
出ています。日本人はあまりにも頭でっかちで計算をしすぎている。世界から「日本人は何を考えているかわからない、危ないぞ」っていう風に見られ始めたってことは、危険ですよね。信頼される、安心される、ともに歩むような友人となれる、そういうものがないと世界から見放されますよ。
今の日本はコンピュータと学問と情報の世界だけで計算して、知ったつもり、わかったつもりになっているだけです。実体験に基づいた感性でもって、涙を流して感じて、友情で抱き合って、痛みや悲しみを一緒に知って、語り合って、そういうことを体感しているリーダーが今の日本にいないでしょ。それで全部がいびつになっている。官僚型政治はモノを作ることに対してはいいかも知れませんが、人間関係はモノじゃなくて、縁(えん)の関係ですから。いくつもの出会いの縁によって、人間は学び成長していくんです。
海外の若者の大半はバイクのことに関して好奇心や興味を持っています。だからバイクは若者のコミュニケーションの材料になるのに、それを日本はわかってない。若者にバイクの良さを伝えていく方法、チャンスを切ってしまっている。本来なら誰よりも先に心を開いて道を切り開くべき大人が導いていない。社会を開放的に導く方向にすべてが整っていないんですよ。輸出が伸びても、国内での販売が伸びないのは当然ですよ。日本人は自らの手で首を絞めているんだから。
── メーカーも売ることばかりで、環境整備に目を向けてなかったというところはありますね。
そうですね。アメリカでの撮影で田舎町へ入って撮影をし始めたら、ちょうど学校帰りの子どもたちと出会ったんですよ。その子たちみんながね、私に興味を持って手を振ったり、話しかけてきて、最後はみんな喜んでキャッキャ言って握手をしてくるんです。見知らぬ人に対しても自分たちが興味を持ったら、声をかけてドンドン話すんですよ。そういう環境があるんです。以前新聞に載っていた話なんですが、日本の学校で先生が「雪が解けたら何になる?」という問題を出したそうです。答えはもちろん「水」ですよね。ところがある生徒は解答欄に「春になる」と書いた。もちろんペケです。でもね、「雪が解けて春になる」というこのイメージ、夢、ロマン。素晴らしい想像力じゃないですか。ところがこれ日本の社会はペケなんですよ。「水」だけが点になる。「水」だけが答えで、あとはダメなんです。私から言わせたら、「水」が100点なら「春」は200点300点の世界ですよ。これをたたえられない、褒められない日本の社会は問題ですよ。
昔はね、許しの文化じゃないけど、正しいことだったら見て見ぬふりをして許してやろうという、大人の包容力があった。大人にもゆとりがあったんです。でも今はそれがない。この国はすべて官僚型になってしまっている。
── 「水」と「春」、どちらが感動させるかということですよね。
そういうことなんです。感動なき民族は滅びるということなんですよ。感性なき民族も滅びる。自衛なき民族も滅びる。愛なき民族も滅びる。もっと言えば使命感なき民族も滅びる。道徳・道義なき民族も滅びる。こういうもの全部が日本に当てはまっていってるんですよ。
ゆとりと遊びの部分が一番多くあった日本民族が、精神的ゆとりも何もない。ただ合理性のみなんですよ。ところがね、アメリカ社会は合理性といいながらも、自由のなかにちゃんとゆとりを持たせようとしている。
たとえば我々が撮影している場所の背景に、小さく軍の施設が写りこんでしまったとしましょう。やってきた軍人には「軍施設の撮影は法律で禁止されている」って言われます。でもほとんど点ぐらいにしか見えないものが入ったって、別に構わないじゃないかと我々は思うわけです。そこで交渉する。するとやってきた軍人がこちらをジーッと見てね、「じゃぁオレはちょっとコーヒーでも飲みに行ってくるから。オレが見てなきゃ知らないことだから。」って言ってウインクするわけですよ(笑)。そういうゆとりがある。規則に縛られないジョークの世界がある。
日本人は合理性のカチッとした部分だけを受け入れて、それが大事なんだとしか言わない。西洋の負の部分を取り入れただけで、それが素晴らしい、エリートなんだってことになっている。これでは感性が磨かれませんよ。
バイクは仕事のオファーがあって乗ることも多い。
将来は自ら考えたバイクを制作することも夢のひとつだという。
── 感性を磨くにはどうしたらよいでしょうか。
バイクというのは五感を全部使わなければ危ない乗り物ですよね。運動神経から反射神経からすべてを要求される。だから小さい頃にバイクと親しんだ子どもは、ものすごく感性豊かになります。感性を鍛えるにはうってつけの道具なんですよ。私は裸馬にも乗れますが、バイクと同じ感覚だと思っています。バイクは自分で自由にコントロールすることができます。馬は馬との心情との交流が必要です。一体感にこそ違いはあれど、風を切る感覚、どこでも走る感覚はまったく同じですよ。だからこの喜びを子どもに与えてやりたい。子どもの頃に「バイク」という種まきをしてやるんです。そうすれば私のように、大人になってもバイクに乗る人間は増えていくんじゃないですか。
そのためにもバイクメーカーがお金を出し合って山を一つ買い、その山を子どもたちに「自由に使っていいよ」と開放してはどうですか? コースの整備費程度のお金をもらって、あとは自己責任の下で自由に遊んでもらう。バイクを心から楽しむことのできる場所を用意するんです。遊びの精神でね、ぶっ壊したっていいんです。解体したり、組み立てたり、新しいものを作ったり、改造したり。遊びに来る子どもみんなが活発に情報交換をして、バイクに対する知識が増え、自ずと大人たちとのコミュニケーションも増えていく。そんな場所が理想です。
今の時代だからこそ、これくらいの包容力が必要じゃないですか? とにかくバイクメーカーには「日本の未来の子どもたちを作るんだ」といった意識で携わって欲しいんですよ。こういうところから世界に挑戦する若者が出てきて、その中から頂点を極めるようなライダーが出て、それをマスコミが取り上げる。一方的に「買ってください」と言うだけのCM製作にお金をかけるくらいなら、この方がよっぽど宣伝効果があるんじゃないかな。
── 日本には理不尽に思える規制も多くあって、メーカーも苦労しています。たとえば駐車禁止の強化にしても、バイク用の駐車場が満足に用意されないまま一方的に取締りが強化されています。
何もかもが全部真っ白でなくてはダメだ、というのはおかしいですよね。規制と言っては応用が利かないものを押し付けてくる。なぜ臨機応変に対応できないんですか。
武道は臨機応変さがなければ戦えません。武道というのは、私から言わせると「散漫なる集中」「根拠なき自信」「応用」そして「臨機応変」です。これがなかったら武道の本当の実戦はまったくダメですよ。マニュアルじゃ戦えないんです。表裏一体が重要なんです。どちらもブレンドしていかなければ無理なんですよ。なんでもかんでも一方的に決めつけてやってしまうというのは、本来の日本的な感覚じゃありません。
たとえば学校教育の一環としてポケバイを10台くらい用意して、校庭の中で訓練してはどうですか。「今日はバイクで遊ぼう!」って言ったらね、いつものワンパターンのスポーツじゃないから、子どもたちも目を輝かせるでしょう。そういう教育を入れてもいいと思うんですよ。昨日は自転車、今日はバイク、明日はゴーカートみたいなね。そこで交通マナーを教えて、機械とともに生きる楽しさや喜びを覚えて、そこからさらに掃除したり分解したり組み立てたりすることも教える。そうすれば子どものものの見方、考え方が違ってくるわけですよね。マナーも教えられるわけですよ。
ボランティア活動でのスナップから。
軽々と荷物を運ぶ藤岡さんの体力には、
同行する若いスタッフも驚かされるという。
── 藤岡さんは数多くの武道をやっておられますが、武道とバイクに通じるものはありますか?
人間は年とともに段々さび付いてくるんですよ。自分のなかで安住して楽をして、刺激を求めなくなったときに老化が始まる。だから私はいまだに刺激を求めて旅をします。武道もします。五感をたえず眠らせません。バイクも同じです。己の五感を研ぎ澄ます道具なんです。
『藤岡弘、探検隊』の隊員たちは20代30代が中心です。彼らと海外ロケへ行きますよね。現地で病気や怪我に倒れるのは若い連中ばかりで、それを看病するのが私なんです(笑)。61歳の私ですが、まだまだ若い連中よりも体力があるんですよ。それは常に自分自身に甘えを許さなかったからです。馬に乗ります。バイクに乗ります。車に乗っても人に運転は任せず、自分で運転します。スキューバで海に潜ります。飛行機も操縦します。大型特殊免許もあるので戦車だって操縦します。そして武道の稽古をしながら、自分の感性を常に見つめているんです。自分自身の可能性はどこまであるのか。私自身がいつも自分自身を探求しているわけです。
── 今日は藤岡さん自ら煎って挽いてくれた豆で入れた、たいへん美味しいコーヒーをご馳走になっています。こういう生活の隅々までご自身でやらないと、さびついてしまう?
さびつきます。老化してしまいます。だから己の生命を維持させて長生きさせるってことは、自分がまだ必要としているんだぞ、ということを五感に、身体に言い聞かせることです。これによって肉体が主人に応えるために一生懸命働いて、身体中の内部の細胞から何から、常に活性化させられているんですよ。その逆で一度安心させてしまうと、その途端に人間は老化していきます。
── 眠らせない。常にアクティブにさせておくわけですね。
存在意義、存在目的、存在価値というものをいつも自分で見つめながら、自分を高めようとする努力を続けることですね。日本人が世界でも有数な民族なのは、四季があるからです。春夏秋冬の四季によって刺激を与えられているし、またそのなかで台風や地震や津波やあらゆる災害に遭って、そこで鍛えられている。だからこそ日本人は世界に誇りうる民族だと思っているんです。
それは個人もそうですよ。甘やかされて、人生のすべてが棚からボタモチみたいになっていたら、すぐに老化してしまうでしょう。私は自ら汚い、キツイ、危険に向かっていくことによって、感動と喜びを得ている。感動なき人生って私にはありえないんですよ。私から感性を取ったら、私のクリエイティブ性はなくなってしまうんです。俳優として、人間としての喜びや、夢やロマンが消えてしまうんですよ。
── 藤岡さんほどではないにせよ、これからバイクを使って自分自身を活性化させようと考えているリターンライダーのみなさんに何かアドバイスはありますか。
団塊の世代というのは、社会のなかで管理され、責任を背負わされ、ノルマを要求されてきて、もうボロボロだと思うんですよ。加えて人間関係や派閥があって、人の顔見ながら、上下関係見ながらね、精神的にも針のむしろに座るような気持ちで生きてきて、そのなかでちゃんと自分の責任を果たしてきた人たちじゃないですか。
その人たちが社会人の位置を持ちながら、経済的にもゆとりを持った。その第二の人生のスタートはね、今まで自分が酷使してきた心や肉体を、今度は違う方へと解放させてやるのがいいんじゃないですか。
まずは少し引いて自分を見つめる時間が必要だと思うんですよ。今まで自分をいじめてきたけど、これからは少しいたわって、「よくやったな」って褒めてやる時間というのかな。そして己に「私はいったい何がしたかったのか」「何を本当は求めていたのか」を問いかけてみる。それが終わったら、これから自分が果たすべき役割について考える。会社と家庭に対して責任を果たしてきた自分が、自分の血を委ねる子どもや、苦労をかけた妻や、家族に対してエネルギーと思いやりを持って接し、自分が今までに得たものを還元していく。家族愛、師弟愛、隣人愛でもいいでしょう。そこに心を置きながら楽しむ世界があってもいいんじゃないですか。
そこにバイクがあればなおの事いいんですよ。自分にあったバイクを選んで、ゆったりとしながら自然に触れていくなかで、己を解放していく。行動範囲も視野も、素晴らしく広げてくれるためのツールとして、バイクというものはとても役に立ってくれますから。
── まるで子どものような屈託のない笑みを交えて始まった対談でしたが、話題が日本のことになるにつれて、眼光鋭い、サムライそのものの凛々しい表情に変わっていったのがとても印象的でした。その過程はまさに「変、身、!」。取材終了時刻を大幅にオーバーしながらも、迸る熱い想いを休むことなく語ってくれた藤岡さんの情熱とバイタリティは、五感を磨き続けた賜物なのでしょう。今後もその若さでよりいっそうご活躍されることは間違いありません。今日はありがとうございました。
(2007年12月13日(木) 於:東京)
俳優・武道家
1965年、松竹映画にてデビュー後、青春路線で活躍。
1971年、「仮面ライダー」で一躍ヒーローに。主演映画は、「日本沈没」「野獣死すべし」「大空のサムライ」他多数。TVは、「勝海舟」「白い牙」「特捜最前線」「あすか」テレビ朝日「藤岡弘、探検シリーズ」他、主演多数。 現在は、NHK「熱中時間」の“熱中人探検”のコーナーや、日本テレビ「おもいッきりイイ!!テレビ」にて“食材バカ一代”のコーナーにレギュラー出演中。
1984年、ハリウッド映画「SFソードキル」の主役に抜擢され、国際俳優として、スクリーン・アクターズ・ギルド(米国俳優協会)のメンバーとなる。「K2」「香港・東京特捜刑事」にも出演し、ハリウッド関係者との親交も深い。
斬(真剣による演武)を行う武道家としても知られ、あらゆる武道に精通。又、民間ボランティア団体の理事も務め、メンバーと共に、国内はもとより世界数十カ国の紛争地域、難民キャンプにて救援活動を展開している。
2005年に芸能生活40周年記念プロジェクトとして歌手活動も開始。CDアルバム「愛こそすべて 合掌、」をリリース。2006年には1st シングル「荒野のサムライ~明日に向って走れ~」をリリース。
新著「愛と勇気と夢を持て!」など著書多数。
数多くの藤岡氏主演映画がDVD化され、藤岡作品に対する注目がさらに高まっている。
名前の最後につく「、」には、「周囲に流されることなく立ち止まり自分を見つめる」という覚悟と「我未だ完成せず」との意味が込められている。
リンク
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