落語には多くの地名が登場する。わずか数文字とはいえ、歴史の出来事、四季が織りなす風光、人々の暮らし……地名に込められた情報量は莫大だ。噺に深みを出すには地名と場所を自分の中でつなげなくては、とビッグ・スクーターで落語の舞台を走り回るのは三遊亭栄楽師匠。地方の落語会にも愛車で出かけるという入れ込みよう。夏の一日、名人圓朝作の「お若伊之助」の舞台を師匠と一緒に走りました。
── 今日は師匠の「バイクで落語散歩」のお供をさせていただきますが、師匠はお仕事でもバイクを使っていらっしゃるとか。
落語って土地土地の地名がいっぱい出てくるでしょ。その土地に実際に行って実際に動いてみた方が噺を演じるときにリアリティが出ると思って、ホンダの250ccバイク、フリーウェイを買って走るようになったんですよ。真打ちになって数年後でした。その後がシルバーウィング600、現在は3台目でスズキのスカイウェイブ650LXです。
私は東京の出身じゃないから、地下鉄で潜って出て、それがひと駅でも全然違う雰囲気になると、どれだけの距離を行ったのかがわからない。やっぱり「あ、隅田川を右に見ながら土手沿いにずっと行ってるな」っていうことを自分が実感して初めて噺のなかに距離感を出せますから、その感覚を確かめたいっていうことですね。高校の頃からバイクには乗ってましたから、環境とじかに接するあの感じは知ってました。
以前ね、夏場にバイクで浅草の吾妻橋交差点を通りかかったら、パトカーがマイクで「どなたか、身投げをしたっていう連絡をしていただいた方。身投げした人が助かりました。ありがとうございました」って。昔、吾妻橋は「身投げの本場」って言われてたもんだから、そういう場面に出くわして、「なるほど今でも名所は名所だ」って思いましたよ。あぁバイクで走っててよかったなぁって……、情報が生で伝わってくるっていうことかな。
── 地方の落語会にもバイクで?
私、伊勢にある皇学館大学を出てるんでその縁で、伊勢神宮の神宮会館で落語会をやらせてもらってるんですけど、バイクで最初に行った時にカーステレオを付けて、それでFMを聞きながらね、高速に乗らずにずっと国道1号線を行ったんです。夜中の12時に都内の家を出て、横浜まで来るとね、だんだん東京のFMが入らなくなる。「うわー、東京離れたなー」って感じるんですよね。それから霧がかかった箱根の山を越えて、伊良湖経由じゃなくって名古屋を通って、向こうに着いたのが昼の12時。12時間かかった、下を通ったからね。おもしろかった。左車線のトラックの後ろを通っていくから、体が排気ガスだらけになって、そのまま高座の着物に着替えたら着物がダメになっちゃってね(笑)。だから今新しい650ccに買い換えたのは、ちょっと右にでてサッと追い越せるじゃないですか。そうするとあんまり汚れない、いや汚れるかな(笑)。
昔のお伊勢詣りって江戸から伊勢まで2週間歩いたそうだけど、今はとてもそうはできない。でもバイクなら先人たちが感動したのと同じ景色を見ることができるんですよ。
回向院、両国橋周辺
── それではエンジンをかけましょう。今日はどういうところへ行きましょうか。
今日は「お若伊之助」という噺に出てくる土地をバイクで散歩しましょう。「お若伊之助」を簡単に紹介しますと、これは幕末明治の名人三遊亭圓朝の作で、日本橋横山町三丁目堺屋という薬屋のお嬢さん、お若は十八歳で実にいい女。このお若さんが菅野伊之助、一中節っていう唄いの師匠で年が二十六歳で、にがみばしった実にいい男に稽古をつけてもらうようになるが、お若が一目惚れをし、二人がいい仲に。おっかさんは伊之助に手切れ金を渡して二人を別れさせ、お若を根岸の剣術道揚、高根晋斎のところへあずけてしまう。しかしいつの間にか伊之助が毎晩お若のもとに通うようになって……。手切れ金をもらったはずの伊之助は本当にお若のところに通ったのかどうか……。
この伊之助がいたのが両国。回向院の界隈でしょうから、両国の回向院からスタートしましょう。噺のなかでは鳶の頭(かしら)初五郎が、両国の伊之助の家とお若が預けられた根岸の剣術道場をいったり来たりしますから、その跡をたどろうというわけです。昔の人は、これを二本の足だけで行くんですからね、大変だったでしょうけどね、今はこのバイクってものがあるんで、ヒューッと一ッ走りですよ。
回向院(⇒ミニ高座)は、1657年に明暦の大火、振り袖火事で10万人くらい亡くなったときに、どの宗派も関係なく無縁仏を葬るようにって、時の将軍家綱が建てさせたのが始まりです。それから勧進相撲発祥の地。国技館の第1号は回向院の中にあったんですよ。この間国技館で講習会みたいなものがあって、行ったらそうやって話してましたよ。だから力士塚っていうのがあったでしょ。 それから有名人のお墓があります。義太夫節の元祖竹本義太夫、泥棒で名を馳せた鼠小僧次郎吉、戯作者の山東京伝。回向院の中では鼠小僧のお墓が一番立派なんですよ。お坊さんに「どうしてあんなに立派なんですか」って聞いたら、「泥棒の寄進だ」って(笑)。私がお詣りしたらね、ほかにもお詣りしている三人がいまして、見たらやっぱり目つきが悪かった(笑)。向こうもこっちの顔、じーっと見てましたけど、どう思ってたんでしょうね。
── あれ、もう停まるんですか。この橋は、エーと……。
両国橋ですね。下を流れるのが隅田川。橋の東詰めを曲がったところにちょっと停めましょうか。下総の国と武蔵の国、二つを結ぶから両国橋。広小路が橋の東西にあって寄席とか芝居小屋とかがたくさんあって、ここいらが一番の繁華街だったんですね。あそこに「ももんじや」っていう猪食わせるところが見えるでしょ。ドジョウ屋もあります。本所とか深川とか、湿地帯でドジョウやウナギが捕れたりするから、この一帯にそういう食べ物屋さん、江戸独特の食べ物屋さんがたくさんあった、っていうことですね。
── 両国橋を渡って右に曲がったらまた橋ですね。橋の下の川が隅田川に注いでます。
柳橋です。ここもずいぶん落語の舞台になってます。昔は船宿がたくさんあって、「船徳(⇒ミニ高座)」では、ここから船に乗って浅草寺にお詣りに行くし、「百年目(⇒ミニ高座)」では花見に出かける起点ですね。芸者を乗せて貸し切りで花見、贅沢ですねえ。昔は大川って言ってました、隅田川ですね、ずっと上流に上がっていく。あと、猪牙(ちょき)舟でもって、船頭入れて4人ぐらいで吾妻橋をくぐって、山谷堀をずっとのぼって遊郭があった吉原に行ったっていうんですが、吉原通いの噺でもこの柳橋から始めるのが多いんですね。
当時の交通機関として、船ってのは高級だったでしょうね、とくに夏場は。漕いでる人は暑いでしょうけど。こう水に触ってチャプチャプしたりなんかしてやっぱり気持ちいいでしょう。涼をとることができますからね。当時の乗り物は、あとは籠か馬ですから、船が一番贅沢だったんでしょうね。
── 師匠、後ろから師匠のバイクを見てると後部座席ののトップケースがほんとに大きいですね。
さっき言いました伊勢の落語会の時もそうなんですけど、地方へ行くときもこのボックスの中に高座で必要な着物とか羽織とか、みんな入れていきます。仕事の出張とツーリングを兼ねているみたいなもんです。
今、都内の7ヶ所くらいで落語会を隔月でやってるんですが、そのポスターを自分でパソコンで作って会場まで持ってって、世話人と一緒に貼らしてもらうんですけどね、夏場の暑いときに駅まで持って行って、電車に乗って、世話人のところまでまた持ってってなんて死にそうじゃないですか。だからバイクにボックスを付けといて、みんなその中にバババーッと放り込んで、サーッと行ける。バイクがあるからこそいろんなところで落語会ができたようなもんです。混雑している都内を安全に走るためにバックミラーを追加で付けました。
浅草寺、吾妻橋周辺
── 5分くらい隅田川に沿って江戸通りを北に走りました。ここは吾妻橋ですね。水上バスの発着所や東武鉄道の駅もあって賑やかです。浅草寺も近いですね。
両国橋からここまでに蔵前橋、厩橋、駒形橋って、今はありますけどね、昔はなかった。橋をあんまり造らせなかったてのは、徳川幕府の戦略上、攻め込まれるといけないっていうのがあったらしいんですよね。走ってきた江戸通りは昔でいえば奥州街道、日光街道です。
ここは身投げの名所(笑い)。昔はいろんな名所があったんですよ、首くくりはどこそこ、心中はどこそこってね。で、ここは身投げ。噺の方では「文七元結(⇒ミニ高座)」のなかに出てきますね。あとは、エーッと、どういう噺があったかな……。
── 「唐茄子屋政談(⇒ミニ高座)」……。勘当された若旦那がここで身を投げようとしたら、親戚の叔父さんがたまたま通りかかって助けられた、という……。
え……、あぁ、あれもそうですね、そうでした。私やったこと何度もあるんですよ。すごくいい噺です。得意なんですけどね(笑)、忘れてます(笑)。だって忘れるんですよ、噺って。同じようなパターンがたくさんあるじゃないですか。それで忘れちゃうんですね。例えば、1時間くらいあるような長い噺を覚えますでしょ。それでまたドンドンドンドン新しいネタをやってくじゃないですか。そうすっと3年くらいすると忘れちゃってるんですよ。でまた覚える。でも2回目は最初に覚えるよりも短くて覚える。でまた5年くらいしてまた覚えると、また短くなって(笑)。だんだん短くなってく。
── 今お話に出た「文七元結(⇒ミニ高座)」に登場する長兵衛はまさしく江戸っ子ですね。
そう、理想像だったかもしれないですね。長兵衛という職人が吾妻橋の上で若い男の身投げを助ける。話を聞くと、売り掛けの五十両をすられてしまい申し訳ないから死ぬんだとまた飛び込もうとする。長兵衛は娘が吉原に身を沈めて作った五十両をこの男にやってしまうんです。
この後、金はじつは集金先に忘れていたということがわかり、男の主人が長兵衛の気っ風に感激して娘さんを吉原から連れ戻し、若い二人が夫婦になって元結屋を始めるという人情話です。元結ってちょんまげの端を縛るやつです。
この噺、原作者が上手く物語を作って、これぞ江戸っ子だって思いたいのかもしれないね。そこがこの江戸っ子の感情っていうのかなー。でも本当はくれてやらないよなぁ(笑)、そんな五十両なんて。
江戸っ子らしい人物ってのは落語全部を通してたくさんでてきます。際立つ、際立たないはありますけど。さっきの「唐茄子屋政談」の中でも、身につまされるっていうのかな、炎天下、道端にひっくり返っている若旦那を見て、自分も同じような境遇に立ったら気の毒だって思う通りすがりの人の情がありますでしょ。その若旦那もそのあと貧乏長屋で出会ったおかみさんに同情して売り上げをやっちゃうんです。「文七元結」の長兵衛も他人に情を思い入れてね、娘が自分を吉原に売ってこさえた金を人に上げちゃう、これ極地ですよね。それ以上のものって言ったら、「命をあなたにあげます」しかないですもんね。これがやっぱり典型、江戸っ子なんでしょうね。
── 吾妻橋から少しまた墨田公園沿いに北へ走って、昔の山谷堀の入口まで来ました。
堀はもう完全に埋められてますけど、水門は残ってますね。吉原に行く舟でね、一本こうお酒を飲みながらね、大川からここで堀に入るとね、土手の左右は桜で、それで一番最後に本物のキレイな女の人の花をね、土手から上がって行って、遊んで。まずお茶屋でもってお酒を飲んで芸者を上げたりなんかして、ワッと騒いで、そのあとに花魁を指名して、ってね。本当にオレもちょっとのぞいてね、遊ばしてもらいたいって思うけどねぇ(笑)。
今は埋め立てちゃって細長い公園になってるから、バイクは駐車場に入れて少し歩きましょうか。
── お仕事以外でバイクに乗る楽しみってなんでしょうか。
基本的には音楽が聞けないとだめですね、私の場合は。タンデムで乗るときも二人で聞けるようにしてるんです。後ろも同じような感覚で味わえるようにね。5月の新緑の頃に東京だと四谷の迎賓館から東宮御所の間を抜けるときや、明治記念館の脇を通り抜けるときってね、空気がキレイで澄んでるし、青々としていてね、それで風を感じながら、いい音楽がかかって、シューッと進んでいく。そのときがメチャクチャ気持ちいいですね。車じゃ味わえないんじゃないかな。去年の9月の半ば頃だったかな、知り合いに誘われて水戸に行ったんですよ。高速を走ってたら田んぼがあって、下草を刈って燃やしてる煙がたなびいてるんですよ。その草の香りがね、ビニールの匂いじゃないんだよね! あの草の香りがスルッと入ってくると、「うおーっ」ってなりますよ。
── それでバイクにオーディオセットを装備されたんですね。
あとね、落語を自分でテープに吹き込んでおく。家を11時に出たけど1時半にはもう高座に上がらなくちゃなんなくて、でも「覚えらんねぇ!」ってときに、出たときから着くまでそいつをずっと聞いて……。電車だと誰かに会って「こんにちは」って言ったり、切符買ったりってね、それるじゃないですか。それがないままシュッと行ける。それは何度もありますね。噺のネタの仕込みって、最初はテープで覚えたりするんですよね。それで大体覚えて、こんな感じかなと喋ってみると無駄が多いんで、これを段々削っていく。例えて言うなら木の彫り物で、こんな大木があってそれを削っていくじゃないですか。それでいつの間にか段々顔が整っていくように、話しているうちに骨格とか噺の世界がこうブワーッと、いいときは出てくるんです。ま、出てこないときもあるけども(笑)。基本的には何度も喋るのを繰り返していくうちに、その世界が出来上がっていくみたいな。それをやらなかったらまた忘れてるわけですよ。さっき「唐茄子屋政談」のことを言ったとき、新しいネタをやると前のを忘れちゃうって言いましたけど、そのイメージが残ってるから、3年5年経ってまたやったときに噺を思い出せるんでしょうね。
── さて、歩いてお腹もすきました。ここでお昼にしましょう。
土手通りにあるこの天ぷらの「土手の伊勢屋」と隣の桜鍋の「中江」ってのは明治から営業してるんですよ。建物も築ン十年、貫禄がありますよね。あ、天丼ですね、じゃ、いただきます。
── さて腹ごしらえもすんで、いよいよ吉原の入り口ですね。
さっきのお店を出て正面に見えるのが有名な「見返り柳」。名前の由来は、一晩遊んだ男たちが翌朝帰るときに名残惜しげに振り返ったからって言われてます。さ、また走りましょうか。ここから入る道がね、カーブしてるでしょ。場所が場所だから中がまっすぐ見通せちゃいけないっていうんで、道を曲げたんですね。それから昔の地図を見るとわかりますけど、遊郭全体が堀に囲まれていた。もちろん今は埋め立てちゃってますけど、私はね、バイクでこの中を走って堀の石垣の残ってるやつを見つけたことがあるんですよ。
── 吉原の花魁というのもなかなかの気っ風の持ち主だったそうですね。
さっきは江戸っ子気質って「相手への思い入れ」というようなことを言いましたけど、「純情」ってのも江戸っ子は大事にした。「紺屋高尾(⇒ミニ高座)」にそれがあります。吉原を舞台にした噺で、私がよくやる噺なんですけど、廓話のなかじゃ唯一まともなやつで、あとは客を騙したりとかね、ろくでもないのばっかりなんだけど(笑)。紺屋の職人が吉原のナンバーワン花魁に一目惚れしちゃったんだけど、会うにはこの職人の3年分の給金がいるっていうくらいの高嶺の花。3年かけてお金を貯めて、ようよう会えたが、今度来れるのはまた3年後と、つい涙ながらに本当のことをうち明けたら、花魁の方が「よくぞ、そこまで私のことを思ってくれました」と言って、夫婦になるという噺。こういう正直が純情に報われるって話がすたれないってっことはね、それだけ大事にされていたんじゃないでしょうか。
御行の松周辺
── 吉原を出て国際通りを渡り、金美館通りを走って昭和通りを西へ越えました。
また「お若伊之助」に戻って、終点根岸の御行の松に着きました。5分くらいでしたかね。「根岸の里の侘び住まい」って言うくらいだからこのあたりは寂しかった。隠居暮らしの風流人が住んでたってことになってますね。明治になってもね、文人墨客が多かった。
はじめにお話したように、別れたはずの伊之助がお若の所へ夜な夜な通ってるのがばれた。ここからがこの噺のポイントです。
もともと伊之助を紹介したのが初五郎っていう鳶の頭。お若が預けられてた剣術道場の主高根晋斎に、この頭が呼び出されて「伊之助が通って来てるぞ」って言われたもんで、伊之助の所に行って「根岸のお嬢さんと二度と会わないって手切れ金の二十両も渡してんのになぜ行ったんだ。昨日も行ったろう」って言うと、「頭、昨日行けるわけないじゃないですか、昨日は一緒に吉原へ行ったじゃありませんか」「……そうだよな、行けるわけねぇよなぁ、あのヘッポコ侍、変なこと言うよなぁ。おぅオレが悪かった、勘弁してくれ、じゃあオレが言ってやるから」って根岸へ行くんですよ。「昨日あいつはずっとあっしと一緒で、ここに来れるわけがないんですよ」と。「そうか。その吉原というのはよく知らんけれども、花魁と頭が一緒に遊んでいる間に伊之助はどうしたんだ」「お茶屋にいました」「お茶屋に行くふりをして、籠に乗れば、根岸まですぐではないか。一ッ走りではないか」。
それが今日バイクでシュッと来たから、本当に来られないことはない、っていうのがわかりますよ。この距離感ですよね。聞いているお客さんがみんな、あぁ、そうだなぁ、って。作った圓朝のうまさです。
それで初五郎はまた伊之助の所に飛んで行って「てめぇ、オレが遊んでいる間に籠に乗って根岸に行ったろ」「頭、昨日は二人で朝まで飲むぞって、ずっと一緒だったじゃないですか」「……あ、そうだ」てんでまた根岸まで駆けだしていく。両国から根岸までだいたい片道五キロ。今日はバイクで走って来ましたからなんでもないけど、当時の感覚では、ちょっと遠い。頭は御徒町にいて、伊之助のいる両国まで尋ねていって、「ふざけるな」って言ってまた根岸に戻るじゃないですか。あそこまでは結構あるよ、大変だったよなって、聞いてる方が遠さを知ってれば余計におもしろいんじゃないですかね。結局毎晩来てたのは伊之助に化けた狸で、伊之助に会いたいというお若の気に乗じてた。それでお若が狸の子を産んじゃったんで埋めて塚をこしらえたのが、この因果塚ってわけです。「お若伊之助」って言ってますけどこの噺、「因果塚の由来」とも言います。
── これで今日のバイク散歩は無事ゴールインですね。距離は5~6キロ。ご飯食べたり、お茶飲んだり、ぶらぶら歩いたりで全部で4時間くらいでしたかね。
どうです、バイクで散歩するってなかなか楽しいでしょ。脇見運転はご法度だけど、きょろきょろしなくても体が外気に触れてるから、情報が向こうから飛び込んでくるっていうのが、わかってもらえたと思います。
── どうもお疲れさまでした。ありがとうございました。
(2005年7月28日 回向院~御行の松を走る)
この回向院で出開帳(でがいちょう)ってのが開かれてました。御利益がある神様仏様を江戸まで持ってきて、開帳する。そうすればわざわざ地方まで行かなくて済むというわけ。それからお宝物といって、いろんな地方の御利益があるお宝をここに持ってきて、拝観料をとってた。
なかにはいい加減なのもあって、源頼朝公のシャレコウベ……。それでみんなぞろぞろ見に来て、「あれ、頼朝公にしちゃ、これ小さいね。小さいですよこれ。頼朝公って頭がでけぇって言うけど、これ随分小さいね」って言ったら坊さんが「もっともこれは頼朝公ご幼少のみぎりのシャレコウベ」と。「あ、子どもの頃のシャレコウベなら間違いないや」って、納得して帰っちゃった。
それで「頼朝公のシャレコウベで当たったんで、今度は貧乏神を開帳しよう」となったんだが、貧乏神にお詣りするやつなんていやしない。そこで一計を案じたところ連日大入り満員。どうしたかって言うと「皆様ご多忙の折、お詣りにお出でいただけなければ、こちらから押し掛けます」
遊びすぎて勘当された若旦那の徳さん、船宿で居候をしてるがどうしても船頭になると言って聞かず、船頭の仲間に。
暑い盛りの四万六千日のお詣りの日、船頭が出払ってしまいまだ半人前の徳さんが船を出すことに。「こないだのように、舟をひっくり返したりしませんからご安心を」と大張り切りで大川に漕ぎ出すが、船はぐるぐる回るは、石垣に張り付くはで、ようよう大桟橋(今の駒形橋あたり)が目の前というところで息が上がってしまってダウン。客はやむなく水の中を歩いて無事に上陸。
「お~い若い衆、だいじょ~ぶか~い」「お客さん、お上がりになりましたら、船頭を一人雇ってください」
お店では謹厳実直な大番頭が店の者に一通り小言を言ってやってきたのは一軒の駄菓子屋。預けてあった粋な着物に着替えると芸者、太鼓持ちをつれて柳橋から屋形船で向島の花見に行こうという趣向。
遊んでいるところをよそ様に見つかってはいけないというので船の障子も閉め切ったまま、吾妻橋、墨堤まで上ってくる頃には、暑苦しくてすっかり酔いが回ってしまい、その勢いで堤に上がって一同鬼ごっこで大騒ぎ。顔を隠そうと扇子を顔の前に下げた番頭、前がよく見えないまま「鬼じゃ、鬼じゃ、さあ捕まえた」「ああ、いやいや、私は通りすがりのもの。お離し下され」「何を言う、離すまいぞ」と、扇子をあげればなんとお店の大旦那。「あッ。……どうもお久しぶりで、いつもお変わりございませんで。ご無沙汰を……」。
うろたえる番頭に、まあまあと別れて店に戻った大旦那、帳簿をすっかり調べて穴があいてないことを確かめると、翌日番頭に「お前さん、店に出ればもう立派な旦那だ。あと 1年だけ辛抱しておくれ。そうしたら店を持たせて暖簾分けを必ずするから。ところで、昨日逢った時、どうもお久しぶりで……とか、一つ家の中にいて、たいそう逢わなかったような挨拶をしたが……」 、「へぃ、硬いと思われておりましたのが、あんなざまでお目に掛かりまして、あぁ、これが百年目かと思いました」
吉原で遊び呆けた挙げ句に勘当された若旦那、「お天道様と米の飯はついて回ります」と啖呵を切ったのはいいけど、ついて回るのはお天道様ばかり、じりじり照りつけられて三日の間、口にしたのは水だけ、腹ぺこで目が回る、もう死んじゃおうってんで、吾妻橋から身を投げようとするんだけども、ちょうど通りかかった親戚の叔父さんがうまくつかまえて、「何でも俺の言うことを聞くなら助けてやろう」
家に連れて行かれると翌日「唐茄子を仕入れてきたからこれを売ってこい」って言われ、暑いさなか、カンカン照りの雷門のところまできて、馴れない天秤棒をひっくり返してしまい、地べたの上で「もうおれはやめたっ!」
そこに通りかかった人が「お前はどこかの若旦那だろ、わかるよ、おれも若い時分にそんなことやったことがあるから。おうおう、お前ら買ってやれ、買ってやれ」と周りに言って売ってくれる。中に「オレは唐茄子は嫌いだ、金だけ置いてくよ」っていうのがいると、「ふざけんじゃねぇ、この人は物乞いじゃねぇんだ」と、よその人の親切で売れた残りが二つ、これは自分で売らなきゃと貧乏長屋へ入っていく……。
左官の長兵衛、腕はいいが、ばくちに明け暮れて借金だらけでどうにも首が回らない。見かねた娘のお久が吉原に身を売って、おとっつぁん、どうか仕事をしてくれと渡した五十両。さすがに長兵衛もこれを家に持って帰って借金をきれいにし、かみさんと仲良くしてちゃんと仕事をしようと思って吾妻橋を吉原から本所の方へ渡っていこうとすると、橋の欄干から身を投げようとしている若い者がいる。
つかまえて話を聞くと、べっこう問屋の若い者で文七、水戸様でもらった売り掛け五十両を途中でスリにすられてしまった。「お店の大事なお金をとられてしまって、申し訳ないんで、死んでお詫びをしようと思うんです」という。「お前、死ぬことはないじゃないか、死んじゃいけないよ」「わかりました」と文七は言うが、長兵衛が行こうとするとすぐにまた飛び込もうとする。これを繰り返すので、「どうしても五十両なければ死ぬのか、うちの娘は死ぬわけじゃねぇから、お前が飛び込んで死ぬっていうならくれてやらぁ!」と手にしたお金を文七にぶつけると走って行ってしまう。
文七が店に戻ると、実は水戸様で碁に夢中になってお屋敷に忘れてきただけ。お金はもう届けに来てくれてた。「この五十両はどうしたんだ」「盗まれたと思って、もう死んでお詫びをしようと大川に身を投げようとしてたら、私にお金をぶつけて逃げていった人がいたんです」「お前、世の中お金をぶつけて逃げる人はいないよ」「ほんとなんです」「……誰のどういうお金か知ってるのか」と聞くと「娘さんが吉原に身を沈めて」というようなこと。
この主人がよくよく話を聞くと、翌朝、文七を連れて貧乏長屋に長兵衛を訪ね、「こちらの親方に間違いないな」と五十両を返して礼を述べる。こんな立派な親方とはこれからは親戚づきあいを願いたい、まずはそのご挨拶にと角樽を差し出し、酒の肴にどうぞ、と表の篭屋に声をかけると娘のお久が着飾って、「おとっつぁん、あたい、こちらの旦那に身請けされたの」と帰ってきた。
吉原の真ん中の大通り、仲の町の花魁道中を見ていた紺屋の職人がその花魁に一目惚れして、恋わずらい、寝たっきりになっちゃった。ところがこの惚れた相手というのが吉原でもナンバーワンの高尾太夫。殿様とか大店の旦那しか相手にしない、おまけに十両ないと客入りしない。
診察した医者が「じゃあなんとか会わせてやろう。お前どれだけ稼ぎがあるんだ」「三両です」「ひと月にか?」って聞いたら「一年です」。で三年で九両貯めて、そこに先生が一両足してくれて初めて会いに行く。
紺屋の職人じゃ向こうは相手にしないから、流山の醤油問屋のお大尽という設定で高尾太夫に会いに行って、取り繕ってお大尽みたいに振る舞っていたが、「今度はいつ来てくんなます」と聞かれ、「また三年後じゃなきゃ来られないんです」と、涙ながらに本当のことを正直に全部言うと、今度は高尾太夫のほうが惚れてしまい、「年季(ねん)が明けたらあなたのところでお嫁さんにしてくれますか」と言うほど。そのことばどおりに高尾はこの職人の所へ嫁いだという。
噺家
現在都内で次のような落語会を定期的に開いている。
偶数月の第二金曜日:乃木坂落語会(三遊亭栄楽独演会、港区赤坂「乃木神社」)
奇数月の第二日曜日:世田谷落語会(世田谷区赤堤「西福寺」)
奇数月の第三金曜日:大島落語会(江東区大島「東大島文化センター」)
奇数月の第四日曜日:深沢落語会(世田谷区深沢「深沢不動教会」)
笑いと感動でお客様に喜んでもらうのは当然だが、同時に自分の最も輝いている、出来のいい落語をDVDビデオに残そうと収録を続けている。現在3巻が完成。目標は150巻。「しかしいついい出来になるかわかりませんので苦労するところです」
噺ごとに、作者が誰で、いつ頃、何を元にして書かれたかなどを紹介し、またそこに出てくる地名を古地図をたよりに実際に訪ね、現地で江戸の頃の道具、食べ物、住まい、遊びなどを見たり体験したりして、落語の世界を再現する作品別スーパー落語事典を構想中。
各落語の要になる場面を表した絵のストックが現在多数あるので、将来個展を開くつもり。
1959年福岡県に生まれる。1984年皇学館大学文学部国文科卒業。三遊亭円楽師に入門、栄楽と命名。1986年二ッ目、1991年真打ち昇進。
リンク
オフィシャルBlog「三遊亭栄楽のちょいと一報! 」
1 現在の愛車は? | スズキスカイウエーブ650 |
---|---|
2 最初に乗ったバイクは? | ヤマハRD250 |
3 今後乗ってみたいバイクは? | メグロ。中学生の時に近所の人が乗っているのを見てあこがれた。音がいい。それからゴールドウイングGL1500も。 |
4 愛用の小物は? | バイクにつけたオーディオ |
5 バイクに乗って行きたいところは? | ウラジオストックからパリを目指したい。 |
6 あなたにとってバイクとは? | 生活の一部。サムライと馬のように「人馬一体」をめざす。 |
7 安全のための心得はありますか? | いらいらしない。けんかになりそうなときでも怒らずに平静を保つ。何事も起こさずにうちに帰ってほっとしている自分を考えるようにする。 |
8 バイクに関する困り事は? | バイク屋さんにお願い。メンテナンスにかかる料金には確かな明細が欲しい。 |
9 憧れのライダーは? | 映画「大脱走」のスティーブ・マックイーン |
10 バイクの神様に会ったら何と言う? | よくバイクを作ってくれました。ありがとう。 |
タイラレーシング(株)代表/元GPライダー
オートバイは異空間。そして地球上で一番自由な乗り物です。
ホンダ・レーシング ライダー
モーターサイクルスポーツを、この国にしっかり根づかせたい。
カワサキ モトGPファクトリーライダー
たくさんの人に支えられて、プレッシャーの中で走る快感
MFJ全日本レディスモトクロス選手権
チャンピオン
出来ないことが、出来るようになる。その時がいちばん嬉しい
能楽囃子大倉流大鼓
重要無形文化財総合認定保持者
オートバイは失われた日本の精神文化を取り戻すツール
噺家
バイクで走れば噺の舞台が見えてくる
作家
バイクがなかったら僕が僕じゃなくなっているかもしれない
女流棋士
将棋の駒ならバイクは香車。バックギヤはありません
アライヘルメット社長
バイクに乗れば自分の頭のCPUスピードが分かりますよ
モータースポーツカメラマン
レンズの向こうに見えるライダーの想いを伝えたい
バイクインストラクター
安全はお金を払って身につけるもの
雅楽演奏家
思い描いたバイクに仕上げる楽しみこそ、東儀流
タレント
「憧れ」から「等身大」に視点を変えて出会った、運命のバイク
俳優
バイクは五感を研ぎ澄ませるためのツール
俳優
自分をどこにでも連れて行く、バイクは「筋斗雲(きんとうん)」
株式会社ハドソン 宣伝部
ゲームは1日1時間、バイクは1日8時間!