著名人インタビュー

Vol.09 アライヘルメット社長 新井理夫さん

Vol.09 アライヘルメット社長 新井理夫さん バイクに乗れば自分の頭のCPUスピードが分かります

「レーサーに売るのと普通のユーザーに売るのに違いはありません。命の重さに変わりはありませんから。」日本最初のバイク用ヘルメットを作った株式会社アライヘルメットの新井社長は、バイク歴50年を越える現役ライダー。バイクの酸いも甘いもかみわけて、今なおビジネスの合間にツーリングに出かけるスーパーベテランへのインタビューは、バイクの楽しみからやがてバイクとビジネスの関係へ……。

帽子づくりからヘルメット製造へ

── 最初に創業のころのことを教えてください。

私の父親であった新井廣武という人がこの会社の創始者で、それ以前には日本にヘルメットはなかった。

もとは帽子屋です。太平洋戦争の時に、日本の兵隊さんが南の戦地で長い間行軍すると陽射しにやられてしまう。それをなんとかしようと私の父が考えたのが、竹を籠みたいに編んで、表面にスプレーしてかぶせ物をした物だったんです。これは兵隊が非常に楽だというんで、東京京橋の帽子屋だったんですけど、陸軍から頼まれてこの埼玉の土地で製造しはじめて、アライヘルメットの基礎ができたわけです。

── 帽子からヘルメットへと発展したのですね。

戦後になって、やっぱり自分は帽子屋だから頭に関わることが好きだ、平和になっても人間の頭を守ることは必要だから、ということでヘルメットを作りだしたようですね。

建築用のヘルメットを作りはじめたのですが、私の父自身がバイク乗りだったので、転倒したときにはヘルメットがあった方がいいということで、自分のバイク用ヘルメットを作った。それが日本で最初のバイク用ヘルメットなんです。

── 当時外国にはバイク用ヘルメットはあったんですか?

ありましたが、衝撃吸収ということまで頭に入れて作り出したのは、私の父親が初めてじゃないかと思います。建築用に作ったものをバイク用に工夫して、上からの衝撃はハンモックというネットのようなもので吸収し、横からは直にくるので、潰れるとスポンジみたいな役目をするコルクを入れたヘルメットを作ってました。それを現在のような発泡スチロールを入れて作ったのも、私の父が日本で最初でしたね。ジェット型・フルフェイス型といった種類の成形方法を確立したのも私の父親だったのです。

映画「アラビアのロレンス」の始めに主人公がバイクで走るシーンがありますが、ヘルメットなんかかぶっていないですよね。そんな時代に初めてヘルメットを作ったということになります。

バイク用ヘルメットのルーツ

── ヘルメットの作り方を簡単にお話しくださいませんか。

私の父親は早い時期からヘルメットにFRP(繊維で強化したプラスチック)を採用していました。FRPを世界で最初にバイク用のヘルメットに使ったのは、たぶん私の父とカリフォルニアにあるベルという会社ではないですか。ただし全然違う工法で、私の父はガラス繊維を型の中に入れて、内側から風船で膨らませて鳥の巣のようにしてヘルメットの形にする。ベルはガラス繊維の織物に樹脂をつけて型の上に張って作る。方法は全然違うんですが、同時に二つのファイバーグラスのヘルメットが作られるようになった。

今、世界の主流は私の父親がやった方になっています。私どもの会社からだんだんと世界中に広がっていったので、ヘルメットのルーツの一つは、ここなんです。

── レーサー用は特別なヘルメットなのですか?

モデルはいつくかありますが、基本のものは全部同じものです。一般のお客さまであろうとレーサーであろうと、命の重さに変わりはないんだから、違うものを売ること自体を潔しとしない、という考えです。

"転んでもAraiなら助かる"

雑誌の取材を受けることも多い。注文に応じて地元を走る。

雑誌の取材を受けることも多い。
注文に応じて地元を走る。

── レースへの参加はずいぶん昔からですね。

ヘルメットは当然安全でなければいけませんが、自分たちの作るヘルメットが一番安全であることをどうしたら世の中の人に知らせることができるのだろうか、私が70年代の終わりに経営を引き受けたとき、それを考えました。広告では結局どの会社も同じことしか言わない。それなら、一番シビアな要求があるところで使ってもらえば、そこでは性能の違いが多くの目の前でわかる。だから、そこでまず使っていただくのが回り道みたいでも実は近道なんじゃないのか。それで私どもはレースに参加したんです。

はじめはかぶってくれるレーサーはほとんどいなかったのですが、アメリカのデイトナサーキットでアライのヘルメットをかぶっていたらレーサーが転倒しても脳しんとうを起こさずにピットまで戻ってきたということが、私どもの信用が築かれていくきっかけになりました。その頃はレーサーが転倒して脳しんとうを起こし、悪くすれば亡くなった方もいたので、このヘルメットなら助かるよ、というような話がだんだんと積み上げられて、今の私どものブランドが確立されたわけです。

── ユーザーがヘルメットのメンテナンスで気をつけなければならないことは?

基本的にあまりメンテナンスはいらないようにできているんです。洋服を着ているような感じでいいんじゃないですか。もちろんシールドが汚れたら取り外してやって、できるだけ大切に扱って、ボコンボコンぶつけて傷だらけにしていただかないほうがいいですが、そんなことする方はいませんからね。

── ヘルメット自体が劣化することはないのですか?

私どもでは時が経ても劣化するような材質はできるだけ使いません。私たち自身がバイクに乗りますから、自分たちがかぶりたくないものお客さんに売るようなことは、目覚めが良くないですよね。

スタートは小学生ライダー!

── 今度はご自身のことをうかがいましょう。バイクはいつから乗っていますか?

免許が取れるようになったらすぐに取っちゃいましたが、免許取れる前から乗ってました、物心ついたときからですかね(笑)。小さい頃から乗っていました。親父が乗ってた古いバイクが倉庫にあって、それを自分で持ち出して、エンジンがかかったのをいいことに庭で乗り回したのが小学校4~5年のとき。そのまま外へ乗って行ったら学校の先生に捕まっちゃった。先生は、とても驚いていましたけど。あれはスクーターだったかな。

あと親父が持ってたホンダさんのベンリィを乗り出したのが中学生、近所を走り回ってね。かれこれ半世紀以上バイクに乗っていることになりますね。

── その半世紀でバイクは変わりましたか?

昔はオフロードの車で前からドンと着地したらね、ガツン!ときましたけど、近頃のはどこから着こうとサスがいいからスッと行くしね。そりゃぁ良くなってますけども、変わらないといえば変わらない。基本は同じですよ。二つのタイヤが付いていて、エンジンが付いていて……。

── いろいろなバイクをお持ちのようですが、一番のお気に入りのバイクはなんですか?

日本のバイクもありますし、輸入車もありますし、5~6台あるバイクをとっかえひっかえ乗ってますが、どれも乗っているときはそれが最高だと思っちゃう。川の土手を走るときはホンダさんのXRバハっていうのに乗るんだけど、250が一番いいなって思いますよね。これ以上パワーはいらない、このくらいのパワーが一番いいなって思うんですよね。だけど1000ccで100何十馬力あるバイクに乗ると、やっぱりバイクはこのくらいじゃないとねってね(笑)。節操があるようで全然ない。そこがいいんだな。

── 逆に「あれは困った」というバイクは?

壊れるバイク(笑)。ツーリングでバイクが壊れて、帰りは電車に乗って帰ったりして。それはみじめな気持ちですよ、ヘルメット持って電車乗るってね(笑)。だから壊れなければいいですよ。今のバイクはわりあい壊れにくくなってきてますね。

バイクの運転はマルチ情報処理

ある日の取材を終えて。顔がほころぶ。

ある日の取材を終えて。顔がほころぶ。

── どんなツーリングを楽しんでいらっしゃいますか。

私のスタイルは、自分一人で朝出かけて、半日くらいで2、300キロ走って、お昼に帰ってくるということばかりですね。これは昔からそうですね。

── バイクの楽しみをひとことで言えばなんでしょう。

わからないんですね、今だに(笑)。

ジム・レズマンっていう1960年代にダブルタイトルを獲ったレーサーがいるんだけど、彼に今何歳って聞いたら、240歳って答えたんですよ。自分は人よりも4倍も楽しんで生きているから、年齢も同じように掛け算するんだって。これなんかバイクの楽しさを言い表してるんじゃないですかね。

ある程度年を取って、若いときよりも今のほうがバイクのありがたみっていうのがわかってきたっていうのはあります。人間って年取ると頭の回転が鈍くなってくると思うんですが、バイクに乗っているときは、まだ自分の頭が動きにちゃんとついていってるというのがわかるんですよ。バイクで走るには勘が働かなければダメなんですよね。人が飛び出してきてから危ないってブレーキをかけるのではなくて、なんか危なそうだな、と勘が働く。

── 四輪と二輪は違う?

違います。四輪にも乗りましたが、たとえば山道を行くとして、四輪ならカーブを普通に曲がるけれど、バイクの場合は、同じように走っていても、自分のライン上に砂が落ちているか、何かありはしないか、無意識にライン上の確認をしているわけですよ。

そういう心配りをうっかり外すと、自分の体のダメージになって返ってくる。だからといって、おっかなびっくりやっていたらおもしろくない。だから伸び伸びと走りながら、小さな路面の継ぎ目、砂、水、日陰の部分などを完全に見ています。それだけ多くの情報を同時に処理しながら、自分の目的のために安全を計算しながらしっかりやる。こんなことがストレスなしにできるスポーツってほかにないんじゃないでしょうかね。

この勘が働いている間はビジネスの世界でも、まだ自分が現役でいられるんじゃないかな。自分が現役でいられる態勢であるかないかを、休みの日に遊んでいるときに自分自身で判断できるのはいいなぁと思いますね。

── バイクに乗っているときに会社の経営のこととか、頭には浮かびませんか?

そんなこと考えて乗っていたらコケちゃいますよ(笑)。バイクは難しいことを考えないからいいんです。だから考えないようにしていて、しかも脳みそは最高に回っているというのがバイクに乗っているときですよね。

リスクコントロールを学ぶことができる

── これまで長い間バイクに乗られてきて、失敗したことは?

無論ありますよ。冬の朝で路面が凍っているのにタイヤをとられたり、砂が浮いているのに、景色に見とれてハイサイド起こしたりして、鎖骨を両方とも折りました、昔ですけどね。自分の進む先は絶対に目を離してはいけないというのを、そういうことから学んだんです。景色を楽しむのはバイクの楽しみではあるんですけど、それは状況判断と同時に平行してできなくてはダメです。普通の楽しみ以上に頭の回転が早くないとダメですよね。走っているときに、頭の回転が自分の動いている速度、風景の変わっている速度に追いついているときには、頭のなかのCPUが十分追いついているということです。CPUの速度が追いつかなくなって処理能力が限界になると、周りの景色も見えなくなる。基本的な安全に対する情報を処理しながら、周りの景色を見る余裕を、頭の回転で余力を持つような気持ちで乗っていれば、頭がいつも一番スッキリした状況ですよね。

── 世の中には「バイクは危ない」と心配する声があります。

危ないということだけを恐れてリスクを取れない人間になることの方が怖いですよ。

危ないからといって子どもをリスクから遠ざけることが多すぎると思います。刃物を持たせると危ないから鉛筆削りを持たせる。じゃぁ刃物を持たせなくなったら犯罪がなくなったかというと、そんなことはない。むしろ何が危ないかを良く知って、危ないものに対応するようなことをしっかり教えることが大切じゃないでしょうか。危険のない世界というのは現実にはどこにもありません。危険から隔離すると一見安全みたいだけど、むしろリスクに対応できない子どもが育ってしまっているんじゃないでしょうか。そういった意味でバイクというのは、リスクをコントロールすることを学べさせることができますから、バイクをもっと積極的に、無論強制するわけではないですけども、それに挑戦したいという子どもがいたときにね、しっかり支援してあげる。バイクに乗りたいという子どもがいたら、じゃあ乗りなさい、ただしこういうところを気をつけなければダメだよって教えてあげる、そういったスタンスで臨むべきじゃないでしょうか。

── 今後ヘルメットを作っていくうえでのお考えをお聞かせください。

ちょっとヘルメットから離れてしまいますが、日本の産業に弱いのは、人の心を読む部分じゃないかと思っています。産業というのは、供給があって需要がある。ある程度産業が習熟してくると、生活必需品でなく、人の心が渇くことによって需要が決まる。高い技術があるのに、それを人の心にどのように結びつけるかという部分がわりあい弱いですね。

アメリカの場合は人の心をどう捉えるか。ハリウッドがアメリカの最たるもので、人の心をどう捉えるか以外何もないんですよ。そこにどうやって技術を結びつけるかに産業の基礎がある。人の心でなく動きをたえず見ているのが日本の経営の悪いところじゃないですかね。単にマーケットリサーチにまかせて数字で見ている。日本はいまだに供給が技術革新していますが、その技術を人の何に結びつけるのか、が大事なんです。需要のあるマーケットに届く基礎技術はあるのに、それを見つけることが上手くない。需要っていうのは人の心の中にあるんですよ。人の心を見る目が、日本の経営にあって欲しいですね。

ヘルメットの場合は、たまたま私自身がバイク乗りである。自分で好きなもの、自分で欲しいものを見ています。ここから次のヘルメットを作っていきたいですね。

── バイクとビジネスとに通ずるものがあるというご指摘はとても貴重だと思いました。日本の経営者の方にもぜひもっとバイクに乗っていただきたいですね。今日はありがとうございました。

(2006年7月3日(月) 於:株式会社アライヘルメット本社)

新井理夫 プロフィール

新井理夫

新井理夫(あらい・みちお)

新井ヘルメット社長

1938年 東京生まれ。
1961年 慶応義塾大学工学部応用化学科卒業。インディアナ工科大学に1年半留学。
1986年 父が1950年に創業した(株)新井廣武からヘルメット事業の全てを継承。現在に至る。
2005年 イギリスの二輪雑誌MOTOR CYCLE NEWSから二輪界に多大な貢献をした人物として表彰されるなど、その存在が注目されている。

新井理夫さんへ「10の質問」

1 現在の愛車は? ドゥカティ、トライアンフが2台とTDM、それにXRバハ。
2 最初に乗ったバイクは? ベンリィ。
3 今後乗ってみたいバイクは? べらぼうに燃費の良いバイク。1000ccくらいである程度パワーがあって、3リットルで100キロ走るバイク。自分でエネルギーを使って走っていると罪の意識を感じるので、少しでもエネルギーを使わないで走れるなら、その方が気持ちいい。
4 愛用の小物は? 自分のバイクにはどれにも小さな入れ物をつけてます。バイクで走ると必ず虫がつくので、そこに濡れたタオルを入れて、シールドをふくんです。バイクメーカーさんにつけてほしい。
5 バイクに乗って行きたいところは? もうどこでもいいですよ。
6 あなたにとってバイクとは? ないと寂しい。乗らないと寂しい。
7 安全のための心得はありますか? 「事故を起こさない」と口に出して言うこと。事故の構成要件の中には必ず自分自身の何かがある。それをなくせば、ほかの構成要件だけでは事故にはならないので、自分に関する構成要件を決して作らない、ということを自分に宣言すると、わりあい事故は起こらないですね。
8 バイクに関する困り事は? 寿命の前に壊れること。
9 憧れのライダーは? バイクに乗る人は自分自身が一番いいって思っているんじゃないですか? 自分よりのろいのは鈍臭いヤツで、自分より速いのは自分を知らないバカだって思ってるんですよ。でもそれがいいんですよ。
10 バイクの神様に会ったら何と言う? バイクを作ってくれてありがとう。

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